戒名、院号について
温かいものが美味しい季節になってきました。
長崎を思いながら、昼にチャンポンを食べました。汁も全飲み。はり重の柚子大根がうまい。
親類の遺族が語っていた事。
夫を見送り、49日を控えたある日、
なぜ、院号を居士にしなかったのかと、
周りから横槍が入った模様。
私なら、
余計なお世話
金が安いから
って言う。
なんなんだろう。
この手の、世話焼きって。
さも、貴女を思っての忠告?
私が姑や舅を送った時も、寺から
お宅は当然、居士、大姉でと押しつけてきて、
途方もない金銭の要求があった。葬儀には、
頼みもしないのに、僧侶が五人も来た。
それ以来、私は葬式仏教に懐疑的になった。
残ったものが、
幸せに暮らすことが、
逝ったものも、一番の供養である。
私は、
葬儀、戒名無用とエンディングノートに記してある。
娘達も、その遺志を尊重してくれるはずだ。
無辜の民が、
あちこちで命を奪われているこの世で、
死に値段をつける、所業が信じられない。
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